2011年1月1日土曜日

アスリートと生

ここ1年くらいすっかり走ることに夢中になっている。

走ることが中心の生活とまではいかないけれど、走るための時間を作ること、快適に走ることが生活のかなり重要な位置を占めるようになってきている。

たとえば、好きなお酒は今でも好きで飲むことは飲むのだけれど、以前のように次の日に残るようなことはかなり少なくなっている。特に、金曜日の夜の深酒は避けるようになっている。せっかくの週末を二日酔いで潰すようなことはしたくない。イベント主催者か飲食店経営者かと思うほど、天気も気にするようにもなっている。

なんで走るのか。

そう聞かれても明確に答えられないのだけれど、走っていると気持ち良いからというのは大きな理由の1つだ。走るのはたしかに辛い。だが、体が温まってきてちょうど良いペースになったときは苦しいのだけれど気持ちが良いという不思議な状態になる。これが良く言われるランナーズハイという状態だろうか。確信はできないが、きっとそうだろう。走り終わった後の爽快感も捨てがたい。ジョギングやランニングの本にも良く書いてあるが、人間は基本的に体を動かすこと、汗を流すことを快感に思えるDNAが組み込まれている。それを実感できる。

体との対話が可能になったというのも最近良く思う。体調が悪いとか良いとかというレベルであれば以前から自然に気づいていたが、長距離を走るというのはやはり体への負担が大きい。以前よりももっと体の状態を気にするようになった。良く草食系だとか乙女系とか言われ、全力で否定はするのだが、たしかに風呂で半身浴をしたり、寝る前にストレッチをしてアロマオイルでセルフマッサージをしているような男性は少ないかもしれない。膝を良く故障していたから始めた習慣だが、これがなかなか気持ち良い。

走りにはフィジカルな部分だけではなくメンタルな部分も影響する。自分の心の状態とも以前より向きあうようになった。また、快適な状態で走っているときには走っているということ半ば忘れ、走りながらいろいろと考えを巡らすこともある。一種の自分との対話である。

ここまで自分と対話したことがあったろうか。

いつまでこのマイブーム(死語?)が続くかわからないが、今はすべての人に勧めたい。走ること。体を動かすこと。自分と対話すること。



金哲彦さんというランニング指導者がいる。ランニング本をいくつも書いているので、書店に行けば1冊は彼の本を見つけることができるだろう。私も彼の本はいくつか読ませてもらった。たとえば、「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから」。これは名著。新書だが、これを読めばランニングの魅力に始まって初心者からある程度の経験者までの的確なアドバイスを得ることができる。

その金氏が実は大腸癌にかかっていたことをつい最近知った。彼が生い立ちから発病、そして闘病から復帰、走ることに対しての思いを書いたのが「走る意味―命を救うランニング」だ。3時間台で完走するマラソン」がちょうど復帰直後に書かれた本だということもこの本から知った。



ランス・アームストロング氏 も癌から生還したアスリートだ。彼は選手として絶頂期を迎えようかとする中、末期の睾丸癌であることが判明する。生存率 20%以下(実は2%以下だったとも言われる)という危機的な状況から奇跡的に生還し、ツール・ド・フランスで優勝する。自身によって書かれた「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」は彼のその復活までの道が自らの言葉で書かれている。原題が「It's Not About the Bike」であるのだが、そのとおりこの本は自転車競技についてが中心ではなく、彼の「生」についての考えが書かれている。2年ほど前に友人のブログで紹介されていてからずっと気になっていたけれど、やっと読むことができた。本当に名著。

Blackcomb (黒こんぶ) の日記 ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

彼が治療を開始したころに多くの人から手紙やメールをもらったが、その1つに次のようなメッセージがあった。
「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ」

何を馬鹿な事をと当然は彼も当初は反発する。だが、生還してからこの意味がわかる。

すべての人は生かされている。生きる意味をそれぞれ持っている。癌との戦いはそれを教えてくれるものだった。

ランス・アームストロング氏が、金氏が何故走るのか。走ることで何を伝えているのか。きっとそれは生きることの意味を考えることと同じだろう。

彼らとは比べるまでもないが、私も昨年に検査で異常が見つかり、一時は(大げさだけど)死が身近に感じられた。だからこそ、彼らの言葉が重く感じられる。生きる意味、忘れないようにしたい。趣味のランニングにしか過ぎないが、それでも自分との対話を始められたことに感謝したい。