2017年9月20日水曜日

30年前の自分の場所

今日は30年前に自分がいた場所を探して、熊本の山の中をさまよった。



30年前の、ちょうど今と同じ夏の終わりのころ、探査工学の研究室にいた僕は、約1ヶ月間ほど地熱探査のために九州に滞在した。

資源探査にはいくつかの手法があるが、僕が研究していたのは物理探査とも呼ばれるものだ。

物理探査は、弾性波探査(人工的に地震を擬似的に発生させるので地震探査とも呼ばれる)が有名だが、僕の卒論のテーマは電気探査というもので、その中でも比抵抗法(MT)と呼ばれるものだった。

僕が参加した地熱探査は、NEDO(当時は新エネルギー総合開発機構だった)から委託を受けた研究で比抵抗法を使っていた。おそらく1億はしそうな、YHP(当時)のミニコンを積んだ実験車なども使っていた。

僕らは、南小国町か小国町、九重町のどこかの温泉宿を借り切ってベース基地とし、そこから一定距離の観測地との間で比抵抗を計測する。たしか、そんな実験だったと記憶している。

いろいろと面白い経験をした。

車で夜中に光ケーブルを這わせて計測していると、途中でデータが送られてこなくなったときがあった。何かと思い、雨の中ヘッドライトの明かりを頼りに見に行くと、ネズミか何かがかじったのか、ケーブルが切れていた。

またある時などは、一般の村道に車を停車し、ケーブルを這わせていると、警察がやってきた。怪しい連中が変なことをしていると、地元の人が警察に連絡したらしい。当時、熊本に進出していたある新興宗教団体と間違えられたのではないかと思う。

許可を得て入った、ある製紙会社所有の山中で計測をしたこともあった。研究を受託した会社の社員の人と2人だけで、その山で一晩を過ごした。その方と私と別々の車で寝たのだが、人工の光が一切届かない中での一晩は決して居心地の良いものではなかった。静寂が闇を包むという感じなのだが、時折、何かの獣の鳴き声のようなものが聞こえる。AMラジオでキョンキョンのオールナイトニッポンを聞いて、気持ちを紛らわした。

この時は、すでにコンピューター会社への就職が決まっていた。探査関係の仕事に就くという選択肢もあったのだが、それを選ばなかった。探査工学は好きだったが、それを自分の仕事として選ばなかった。にも関わらず、ここで1ヶ月ほど探査の仕事をしている。そんな複雑な経験をしているところだった。

僕の右手の親指と人差し指の付け根あたりは、少し肉が盛り上がって不格好なのだが、これはこの九州滞在時の怪我の跡だ。ベース基地となった温泉宿は牧場に隣接していて、車で宿を出発するときには、飼っている牛が逃げ出さないように設置されている柵を自分で開け閉めする必要があった。ある日、柵に自分の右手を絡めてしまい、血だらけになってしまった。絆創膏で押さえつけて、ごまかしていたのだが、今から考えると、これは縫わなければならないくらいの怪我だったと思う。破傷風などにかかるリスクもあったろう。いずれにしろ、数日でどうにか傷は治まったが、傷口は醜く肉が盛り上がってしまった。

体の傷というのは、自分の体に刻まれた歴史とも言える。この右手の傷跡を見ると、30年前の夏を思い出すことがある。

今回30年ぶりに熊本を訪れたので、自分が滞在していたベース基地や実験した場所を探した。かすかに残る記憶を頼りに、車を走らせた。しかし、結局は見つけることはできなかった。おそらく、近いところまでは行っていただろう。見覚えのあるような景色もあった。

また熊本に来ることもあるだろう。自分のルーツの1つとも言えるかもしれない、熊本のベース基地はそのときにまた探してみたい。