2013年5月6日月曜日

ネット上の医療情報

昨年末に手術したことは以前ここでも書いた。命に関わるものでもなく、緊急性も要しなかったため、病院と私の双方のスケジュールが合う年末を選んだのだが、実は病気が人間ドックで発見されてから3年弱ほど経っていた。

病気を指摘されてから、ネットで病気の情報を検索をするのだが、その病気が日本ではやや珍しいものであったこともあり、ほとんど見つからない。病名が診察の度に変わる(病気が変わるのではなく、細分化されたものに変更されたり、診察の結果、別の病名での呼び方になったりしたようだ)のもあり、その度に検索するのだが、それでもあまり見つからない。学術論文でもそんなには見つけられなかった。

当初はかなり不安を感じていたこともあり、英語での情報もあたった。すると、予想通り、日本語よりははるかに大量の詳しい情報に行き着くことができた。私の場合は、結果として命に関わるものではなかったし、その病気に関しては恐らくは日本でも最も権威のある先生がいる(論文を検索して確認した)病院にかかっていたので、英語で得た情報により治療方針などの変更をお願いすることはなかったが、病気によっては、この情報の差はそれこそ運命を分けるものになりかねないのだろうなと思う。

言語によって、情報空間が分離されることにはプラスとマイナスの両面があるが、こと医学に関しては母集団が多いほうがプラスなことも多いだろう。法制度なども異なるため、単なる言語の壁だけの問題ではないとは思うが。そもそも英語でさえ、「信頼出来る」医療情報がネットにないというのが課題になっているとも聞く。

専門家からの情報に加えて、患者本人や患者家族が発する情報というのも参考になる。しかし、これも病気によっては必ずしもプラスに働かない現実がある。私の病気と似た名前の治療方法がない深刻な別の病気があった。検索すると、そちらも引っかかってきたので、「闘病記」という名前がついたようなブログなどを読んでみるのだが、多くが、途中で更新が止まっている。

厳しい現実を知ることも重要ではあるが、藁をも掴む気持ちで情報を探す人にとってはあまりにも酷な現実である。せめてネットがもっと賢くなって、望む情報を得られるようになればと思う。