2013年5月18日土曜日

Keith Jarrett Trio 30th Anniversary

Keith Jarrettを初めて聴いたのは高校生のころだ。

もともと雑食だったこともあり、ロックやニューミュージック(当時はこう呼ばれていたJ-POPの一種)だけでは飽きたらず、クラッシックやジャズも聴き始めた。当初難解に感じたジャズもすぐに慣れ、自分の好みも出てきた。その中でも気に入ったのがKeith Jarrettだった。

Keith Jarrettというと、ケルン・コンサートが有名であるが、実は最初に聴いたのはMy Songだった。友人から借りたこのレコードの音色にすっかり虜になってしまい、それから彼の過去のレコードもすべて聴いた。

そのKeith JarrettがJack Dejohnette (Dr)、Gary Peacock (B) のトリオ構成で活動し始めたのが今から30年前の1983年だ。

Standards 1
Standards 1

まだそんなにはジャズを聴きこんでいなかった私でも聴いたことがあるスタンダードに彼らの手によって新たな息吹を与えられる。友人宅で夜に酒を呑みながら聴いた。いっちょまえに音楽談義みたいなことをしながら。

それから30年。公演の説明にははっきりとは書かれていないが、日本でのラスト公演になるのではないかと言われていた。

いつものような3人がステージにはいる。いつもと変わらない彼ら。
気負わず、楽しみながら、だが1つ1つが真剣勝負な様子が伝わってくる。

私が行った5/15(水)は日本公演の最終日だったので、事前にその前の公演の様子などを検索して調べてみていた。彼らのことだから、セットリストも違うだろうと信じながら。どうやらアンコールは3回も行うらしい。こういうのは調べて知っていたほうが良いのか、それともサプライズとして残しておいたほうが良いのかはよくわからない。

だが、実際にはサプライズだった。今回は4回目のアンコールもあった。

実際にはアンコールに入ってからは、これが3人の音を聴く最後かもしれないと思い始めると、一音一音が愛おしく、曲が終わりになるに連れ、なにか熱いものがこみ上げてくる。

4回目のアンコールのAnswer me, my love。これはダメ。泣いて下さいと言わんばかりの曲。最後の一音まで聴かせてもらった。


ありがとう。Keith、Gary、Jack。

Keithが68歳、Garyが78歳、Jackが70歳。私も3人のように背筋をしっかりと延ばして生きていきたい。

それにしても、お礼の挨拶をするときに前に手をぶらーんと下げるのはいつからなんだろう。日本以外でもそうしているのだろうか。いつか私も真似してみたい。

2013年5月6日月曜日

藝人春秋

藝人春秋
藝人春秋

この本は水道橋博士の友人の友人から頂いた。

以前より浅草キッドや水道橋博士はとても気になっていた。TBSで放送されていた「アサ秘ジャーナル」での政治家とのトークも面白く、読んではいないものの伝え聞く「博士の異常な健康」の内容も興味を惹かれるものだった。

この本では博士の人に対する愛情を読み取ることができる。「藝人春秋」という書籍名からわかるように、付き合いのある芸人とのエピソードを通じ、それこそ「春秋」(歴史)が表される。芸人の歴史を語るというよりも、博士との関わりを通じ、その芸人の魅力を語る。成功秘話などが書かれているわけでもないので、その種の話を期待するとがっかりするかもしれない。ここまで人に魅力を感じ、語れる人というのは素朴にすごいなと思ってしまう。

過去のテレビ番組でも、豊富な知識とさらにその知識を広げようという貪欲さに感服することが多かったが、ここでは博士の持つ人への愛を元にした文章にひたすら浸かるのが良いのだろう。文章は好き嫌いがわかれるかもしれないが、私は好きだ。

この本を読んで、何か(知識など)を得られるということはないかもしれないが、人を好きになることはできるだろう。見えているところだけがすべてでない。人付き合いに疲れてしまったときなどにはお勧めだ。元気になりましたという書評があることも頷ける。

本の中では、芸人でない堀江貴文氏や苫米地英人氏なども含まれている。しかし、彼らの常人とはとても思えないエピソードなどを見ると、彼らも一種の「芸」を持った人に違いない。常人というのが下手をすると、凡人になりつつある今、多少の変態性を良い教訓として得るにも良い本だろう ;-)

ところで、私は一度だけ博士の番組で名前が出されたことがある。「博士の異常な鼎談」というTokyo MXの番組なのだが、佐々木俊尚さんが出演され、「2011年新聞・テレビ消滅」に内容などを話された際に、私が以前提唱していた「3Cモデル(コンテンツ、コンテナ、コンベア)」(詳しくは私の著書をお読みください)をフリップで紹介し、私の名前を呼んでもらったのだ。ミーハーなので、なんか嬉しかったことを覚えている。調べてみたら、あの回が最終回だったようだ。光栄だ。

ネット上の医療情報

昨年末に手術したことは以前ここでも書いた。命に関わるものでもなく、緊急性も要しなかったため、病院と私の双方のスケジュールが合う年末を選んだのだが、実は病気が人間ドックで発見されてから3年弱ほど経っていた。

病気を指摘されてから、ネットで病気の情報を検索をするのだが、その病気が日本ではやや珍しいものであったこともあり、ほとんど見つからない。病名が診察の度に変わる(病気が変わるのではなく、細分化されたものに変更されたり、診察の結果、別の病名での呼び方になったりしたようだ)のもあり、その度に検索するのだが、それでもあまり見つからない。学術論文でもそんなには見つけられなかった。

当初はかなり不安を感じていたこともあり、英語での情報もあたった。すると、予想通り、日本語よりははるかに大量の詳しい情報に行き着くことができた。私の場合は、結果として命に関わるものではなかったし、その病気に関しては恐らくは日本でも最も権威のある先生がいる(論文を検索して確認した)病院にかかっていたので、英語で得た情報により治療方針などの変更をお願いすることはなかったが、病気によっては、この情報の差はそれこそ運命を分けるものになりかねないのだろうなと思う。

言語によって、情報空間が分離されることにはプラスとマイナスの両面があるが、こと医学に関しては母集団が多いほうがプラスなことも多いだろう。法制度なども異なるため、単なる言語の壁だけの問題ではないとは思うが。そもそも英語でさえ、「信頼出来る」医療情報がネットにないというのが課題になっているとも聞く。

専門家からの情報に加えて、患者本人や患者家族が発する情報というのも参考になる。しかし、これも病気によっては必ずしもプラスに働かない現実がある。私の病気と似た名前の治療方法がない深刻な別の病気があった。検索すると、そちらも引っかかってきたので、「闘病記」という名前がついたようなブログなどを読んでみるのだが、多くが、途中で更新が止まっている。

厳しい現実を知ることも重要ではあるが、藁をも掴む気持ちで情報を探す人にとってはあまりにも酷な現実である。せめてネットがもっと賢くなって、望む情報を得られるようになればと思う。