2012年12月4日火曜日

原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか

「及川さん、福島ではもう誰もマスクはしていません」

昨年の5月ごろだったと思うのだが、彼はそう言った。

福島市内に居を構える彼は福島では日常が戻りつつあることを私に訴えた。放射線量の話題で首都圏でももちきりだったころだ。福島のホテルで見た地元のテレビは、まるでデータ放送を表示しているときのように、番組の内容とは無関係に、各地の放射線量を上部で横スクロールさせ表示させていた。

その彼の横にいた、ほか都市から赴任してきていたもう一人の福島市民は複雑そうな顔をしている。後で知ったのだが、彼は実家から福島を離れ帰ってくるように言われていた。


現時点でも放射線量が人体に与える影響についての結論は出ていない。おそらく、数年後もしくは数十年後にならないとわからないだろう。しかし、放射線が降り注いだことは事実であり、その事実に向き合って、どう判断するかを迫られたのが福島県民だ。

ある人は人体への影響は無いという言葉を信じ、地元に残り、ある人は原発構内での作業経験から政府が安心という放射線量であっても、とても住める状態ではないと判断し、地元から離れ続ける。どちらが正解ということはない。しかし、もともと同じ土地で住んでいた人たちが、生活を支えあっていたコミュニティが、この判断の違いにより分断され、もう元に戻れなくなっている。なんの罪もないにもかかわらず、いがみ合うことになってしまったり、新しい土地で不条理な差別にさらされたりしている。

原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか」は大手マスメディアが入り込めなかった原発20km圏内にも取材し、あのとき何が起きたかを解明したレポートだ。

同心円状の避難勧告が如何に無意味かは今ではほとんどの人が納得するだろうが、しかしそれでも、現時点の政府の判断もその同心円状のものに後付の形で飛び地のような避難勧告を出しているに過ぎない。その結果、わずかな距離の差で避難したくても、自主避難にせざるを得なかったりし、それが家族や友人関係を分断する。

何故、多くの人が被曝するような事態になったのか。本書に書かれている現実は目を覆いたくなるようなものばかりである。避難訓練が子供だましのようだったものであることもわかる。それもこれも、安全神話が前提となった被害しか想定してこなかったからだ。

本書の中で、ショッキングな事実も明らかにされる。
「同心円での避難規則は、『放射線源が一点』を前提にしています。放射線源が一点なら、距離が遠くなるほど放射線は弱くなる。光と同じ影響特性ですから。そして、線源は移動しない、という前提です」 
「現在の立地審査指針は、格納容器が壊れないことを前提にしています。格納容器は壊れないことにして安全評価を行なっている。」 
「政府は、原発の立地審査指針を定めています。これは、電力会社が原発をつくろうとしたとき、この基準を満たさなければ政府は許可しないという基準です。ここに、『非居住区域』『低人口地帯』を考慮して立地するように、と書いてある。しかし、格納容器が壊れないことを前提とすれば、重大事故(技術的見地から見て、最悪、起こるかもしれない事故)や仮想事故(技術的見地からは起こるとは考えられない事故)を仮定しても、放射能の影響は一キロ(=原発の敷地内)に収まるので、非居住区域と低人口地帯を具体的に考えなくてすみます」
つまり、スリーマイル島事故などから得られたデータなどを元にして、格納容器が破損した場合の住民への影響を考えると、本来ならば、「非居住区域」と「低人口地帯」は10キロを考えなければいけなかったのだが、そうすると、国土の狭い日本では原発を作れなくなる。そこで、
立地基準を満たすために、『格納容器は壊れないことにする』という前提
にしてしまったのだ。

これを明かしているのは、「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために」を記した松野元氏だ。松野氏は原子力安全基盤機構にいらした方で原子力のプロだ。本書の第4章「被爆者も避難者も出さない方法は、確実にあった」は松野氏へのインタビューを中心に構成されているが、この章で知らされる事実は、被曝が人災だったということだ。

SPEEDIのデータは活用できたはずであるし、SPEEDIが使えなかったとしても、それに変わるバックアップであるPBSという仕組みが使えたはずである。松野氏はたとえそれらのシステムが動作しなくなっていたとしても、どのように避難勧告を出すべきかは数秒で結論を出せるものだと言う。つまり、人を救うことよりも、原発が廃炉になることを恐れたがあまりに起きた人災なのだと。

内部被曝の真実」を書いた児玉龍彦氏が言う「プロスペクティブな予測」というものと重なることがあるように思う。非常時には高い精度での予測よりも、少ないデータを元に大胆な推測をし、最悪の事態を避けるべく対策をとるべきだ。そのような対策がまったく見られなかった今回の災害はだからこそ「人災」なのだ。

冒頭に紹介した、ほか都市から赴任してきた彼は、その後、福島を離れた。原発事故さえなければ、離れる必要もなかったにもかかわらず。

原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか (PHP新書)
烏賀陽 弘道

4569804179

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