2012年11月7日水曜日

自己愛な人たち

田中文科相が着任して早々に新設大学に不認可の結論を下したことが物議を醸している(と書いていたら、一転して認可したらしい)。唐突だという声もあるものの、多くの人は何かするんじゃないかと思っていただろう。

本人もこのように振る舞えば、どのような反応がくるかは予想できていたはずだ。政治的に何かの意図があり行なったとも考えられるが、彼女のこのような行動様式を紐解く鍵は「自己愛」にもあるかもしれない。

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自己愛と聞いた場合、どのようなことを想像するだろうか。

鏡に映った着飾った自分の姿に見とれるような人を想像する人もいるだろう。私もそうだった。いわゆる「ナルシスト」と呼ばれるような人が思い浮かんだ。だが、自己愛とはそう単純なものでもないようだ。

何故、この「自己愛な人たち」を購入したのか覚えていないが、おそらく帯にあった「あなたを(じわじわ)苦しめる微妙に困った人」という言葉に心が動いたのだろう。多分、そのとき、人間関係に苦労していたのだと思う。

自己愛には、プラスの側面とマイナスの側面がある。生きていくために必要な「自己肯定」という側面と同時に、「思い上がり」や「独りよがり」というマイナス面もある。本書の中では一貫して、この2つの側面を中心に自己愛についての説明がなされる。「思い上がり」や「独りよがり」という面を内面に秘めながらも、それを自己コントロールしていくのが自己愛との正しいつきあいかたであり、豊かな人生ではないかと言う。

本書では文学小説や事件などに登場する人物を取り上げながら、さまざまな自己愛を解説する。それらを読み進めることで、我々に馴染み深い自己愛は自己愛の持つ広い意味合いからすると一部に過ぎず、誰もが自己愛を秘めていることに気づく。

ここで取り上げられる小説が実に興味深い。自己愛の中でもかなり特徴的な傾向を持つ人、もっと率直に言うと精神疾患または神経症の類の人が登場人物になっているので、それだけでも興味を惹かれるのだが、彼らがまた愛すべきキャラクターなのだ。これらのエピソードを読んでいくだけでも楽しくページを進められる。

ページを進めるごとに、自己愛が特別なものではないことが解説される。

実は、自分の振る舞いも自己愛の表現の一つだと気づいたときには少しびっくりした。

私は自分が同じ年代の連中よりも多少変わっていると思っている。また、その変わっていることが露呈されることを厭わない。むしろ、積極的にちょっと変人だと言う。実際に、そのように振る舞うことも多い。

どこかで「普通」のキャリアを積むことを諦め、他人とは違った道を歩まざるを得なくなってしまった自分を肯定するために、「変わった人」の人生を作り上げ、その中に自分を押し込めることによって、自己愛を満足させている。

この本の中の言葉を借りると、このように説明すると、自分のときには常軌を逸するとも思われる振る舞いの説明がつく。

こう書くと、いかにも私が異常者のように見えるかもしれないが、もちろん誇張して書いているので、その部分は差っ引いて読んで欲しい。だが、誰も、本当に実現したかったものにならなかったときの振る舞いというものを自分なりに冷静に見つめれば、自己愛との折り合いを付けるための行動だったのではないかと思い当たるところも出てくることだろう。

本書の帯にあった「あなたを(じわじわ)苦しめる微妙に困った人」というのは、周りにいるすべての人の行動のどこかに自己愛との折り合いを付けるための行動があり、それが他人に迷惑をかけることがあるということを示しているのだ。

このように考えると、あの人やこの人の行動なども気にならなくなる(かもしれない)。冒頭の田中文科相のケースも。

万人向けではないかもしれないが、心理学系の本が好きな人にはお勧めかと。読み物としても読みやすい。

自己愛な人たち (講談社現代新書)
春日 武彦

4062881608

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