2009年2月12日木曜日

天使なんかじゃない & マリンブルーの風に抱かれて

携帯電話というアイテムとの付き合い方を図りあぐねている。

いわずもがな、携帯電話は必須アイテム。

財布を忘れてもどうにかなるが携帯を忘れたことに気づくと、遅刻する可能性があっても自宅に戻る。

言うまでもないだろうが、両者の違いは明白だ。気軽に借りれるものと、唯一無二のものかどうかの違いだ。

財布を忘れたときに現金を気軽に借りに行ける自分の偉大さを再認識するが、「気軽」かどうかは別として、現金というものは最悪借りればどうにかなるものに違いない。財布の中にはほかにも重要なものが入っているかもしれないが、でもたいていの場合、大したものではない。昔の(今もそう?)所ジョージがやっていた宝くじのCMではないが、たいていのことは金でかたがつく。自分の300人以上いるTwitterフォローワーの誰かは貸してくれるだろうから、会社で借金を踏み倒しまくっていても、まだあと300人くらいは踏み倒せる候補がいる。

さて、携帯の無い世界。

たまに、ブログや掲示板などで話題になるが、結構ステキかもしれない。ただ、1週間以上は耐えられないな。ネット依存症の自分としては。

その携帯の無い世界で多感な高校時代を過ごした若年層(正直に言うと、「若者」と書こうとして、それが死語かどうかわからなかったので、直前で止めた)の恋愛模様を描いたのがこの2作品だ。



じれったくなるようなすれ違いの多さ。現実世界では有り得ないと読者がわかっていながらも、自分と投影してしまう甘酸っぱい青春(死語? しつこいってか?)模様。だが、携帯という新しいコミュニケーションによって、このような恋愛プロセスは大きく変わった。

どちがが良いのかはわからない。ただ、よしもとばななや栗本薫の80年代の小説の中にあるような、リアルな世界だけを中心とした世界はもはや存在しない。小説やコミックに関しても、もはや携帯は必須アイテムだ。もしかしたら、多くの小説家は携帯電話というデバイスとの距離感を測りかねているのかも知れない。時流に流されることなく、ただ移りゆく時代の流れは理解しないといけない。

良かった、小説家じゃなくてw

でも、おぢさんは言いたい。庄司薫が言ったように、すべての家庭の黒電話はその家の親父さんの膝の上にいっつも乗っているんじゃないかと思うというくらいのプレッシャーの上で、覚悟を持って電話した男の子の気持ちをいつまでももっているおぢさん世代は強いんだ。常に直通で相手と繋がりあえると考えていることで、スポイルされないように気をつけなさいな。

で、何を言いたかたっかというと、このシリーズ×2読了。